セドナメソッド 達人

セドナメソッドの達人5:達人:セドナメソッド【解放の手順】

歓喜の状態を超越して覚りの境地へと進む。セドナメソッドの達人といえば創始者のレスター・レヴェンソンですね。彼がセドナメソッドを発見したことで、現在私たちは解放の手順を簡単に実行できるようになったのですから。彼こそセドナメソッドの達人です。:セドナメソッドの達人5:達人:セドナメソッド【解放の手順】

セドナメソッドの達人5

この内容は、仏教やヨーガでいわれている瞑想の段階に酷似しており、レスター師の境地が古の聖者たちと同等の境地だという一つの証明だと思います。
証明する必要もないのでしょうが、レスター師の経験は彼一人が説いているのではなく、過去の聖者たちも同じ境地を経験していたということですね。
しかし、独学で歓喜の状態を超えて、寂静の境地まで進んだのですから、凄すぎますね。
レスター氏のこの辺の心境を読むたびに、仏教の四禅定を思い出します。
瞑想を志し挫折した経験を持っている人も多数いらっしゃると思いますが、
セドナメソッド(解放の手順)は数息観やアナパーナサティ等の瞑想よりも、
簡単に進めると思います。
それは、身体を無視していきなり感情へとアプローチしているからなのかな??。
そして、その問題になる感情を解放すると、身体にも変化が現れるということかしら??。
うまく説明できませんが、感情を対象にして、手放すことは効果的なのは確かです。
3ヶ月目の間、物事はより急速に進んでいた。
彼を時折ひどく驚かせるような感覚の深まりがあった。
彼の膝は時折崩れ落ちたが、それが修正されるまで彼は各々の感覚に止まり続けた。
彼はどんどん幸せになっていったが、この新しいプロセスによって到達し得る事に限界があるかどうか、まだ探求していた。
「どれくらいまで行けるだろうか?」彼は自分自身に問いかけ、推し進めていったのである。
彼が思いがけなく、昔からいつも目の片隅で見てきた敵視していたものに出くわしたのも、この3ヶ月目の事だった。
いつも周辺をこっそり動いて、以前だったら絶対に正面から出会いたくない相手だった。
それは死の恐怖だった。
その「死の恐怖」が、彼が今まで感じてきたあらゆる感情の基盤になっている事を、彼 は今や認識していた。
彼は「死の恐怖」をうまく明るみに出して、たった数ヶ月前、戦いに殆ど勝ちを収めるところだった強敵をじっくり観察したいと思った。
彼は死の恐怖の感覚を無防備にさせ、溶解させた。
そして、このやり方は効を奏したのである。
彼は、今まで生きてきた間中、ずっと下から火であぶり、一時たりとも本当の平和を感じさせなかったこの敵に対して、この上ない自信と共に笑いとばすような境地に達していた。
この怪物の生き残りは、結局はただの感情だったのである。

これも、私にはお釈迦様の降魔と同じように感じます。
私も仏教徒のつもりですから、あまりレスター氏と仏陀が同等だというと語弊があるかもしれませんが、
私は同じような境地に到達していたんだと感じています。
そして、仏陀釈尊が説かれた教えだけでは、現代の私たちには覚れないだろうと思われます。
というか、私には無理でした・・・。
ですから、現代的に解放の手順(セドナメソッド)を体系化したレスター氏を賞賛したいですね。
私たちの救い主のような存在だからです。
死への恐怖を溶解させ、彼はある日体が治り、健康である事を認識した。
肉体の障害は治っていた。
・・・・
彼の肉体は健康だったのである。
・・・・
3ヶ月目の終わりまでに、彼は体全体を無数の絶頂感(オーガズム)が一挙に押し寄せるとしか言い様がない、この上なく幸福で楽しい状態になっていた。
その状態は延々と続き、彼はこの状態(性的なものではないが)を、求め続けていたが、SEXからは見つけられなかった状態なのだと悟った。
彼は数週間、刻一刻と喜びが彼の内部で爆発している状態で過ごし、軽やかに感じていた。
彼にとって、あらゆる人、あらゆる事がこの上なく美しいものになっていた。
・・・・
時折何かが彼に起こっても、彼がその意味を明らかにする前に殆どが消えていた。
そしてより強烈に喜びが彼に押し寄せるのだった。
数週間後、彼はこの喜び以上の何かがあるのだろうかと考え始めていた。
・・・・
答えを期待せずに意味もなく考えていたが、その答えはやってきたのである。
「この信じられないような、止まる事のない喜びの状態以上のものは、どんな状態だろう?」
彼はそれが平和で静まったものだと分かった。
そして、もし彼がそれを受け入れたら、彼がその平和な状態になる事を決意したら、その状態は決して消える事はないだろうと、確信と共に自覚した。
そして彼は何の努力を要する事なくその状態に入っていった。
ただその状態でいようという決意をしただけで、彼はその状態にいたのである。
あらゆるものが止まっていた。
彼は静寂の中にいた。
彼は今や理解していた。

これはまさに、仏教の四禅定の解説そのものですね。
思いや考えはあるが、欲求を手放し、解放によって生じた喜びと安楽のある「初禅」に達して、
欲求の解放から生じる、喜びと安楽を全身に感じる。
初禅の私流の解釈ですが、そっくりの体験でしょう?。
思いや考えを手放して、心が純粋で透明になれば、心の安定から生じた喜びと安楽のある「第二禅」に達して、
心の安定から生じた喜びと安楽を全身に感じる。
最終的には、喜びや安楽も手放して、平和な安らぎの境地へと進んでゆくのですね。
私には詳細は書けませんが、純粋で透明な心、無心、空、等の状態へと進化していくようです。
そこには、静かな安らぎに安住できるのでしょう。
ずっとこの静寂の中にいたのにも関わらず、未修正で蓄積された過去からの絶え間ない雑音によって、その静寂を打ち消していたのだと。
実際には、その状態は静寂以上のものだった。
あまりにも想像を越えた状態なので、この平安さの喜びや快さを表わす言葉がないのだ。
・・・・
この平和な状態はそれを超越しており、そのために、やらなければならない事は一線を越えて、その中に入る事だった。
「更にこれを越えた何かは存在するのだろうか?」と彼は考えた。
しかし、彼が問いを発した時、彼にはその答えが分かっていた。
この安らぎは永遠に不滅なものであり、あらゆる生き物のエッセンスだった。
たった1つの存在があり、あらゆるものが「それ」なのである。
あらゆる人は「それ」であるのに、その真実に気づかないでいるのである。
修正されないでいる過去を持ち続けて、その過去によって真実が見えなくなってしまっているのである。
・・・・
全ては視点によるのだ。

ここまでの体験談からも、レスター師は覚っていたと感じられます。
しかも、仏教的な覚りと同等の覚りの境地だったと、それは当然かもしれませんね、
真理は何処まで行っても真理なのですから、
右と左で違う真理がある方がおかしいんですよね。
仏陀も涅槃寂静と言っていましたね。
そして、私たちの本来の姿は、この静止した世界にあるのだと・・。
寂静の中に安らいでいることが、最高の状態なのですね。
至高の存在へ昇華される瞬間を経験したいですね。
私もいつかはその場所へたどり着けますように。

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